「ゴミ屋敷からの脱却」という目標は希望に満ちていますが、その途中に横たわる「片付け作業」は、想像を絶するほど「辛い」現実です。物理的な労力だけでなく、精神的な側面においても、作業者は大きな負担に直面します。まず、最も直接的な辛さは「肉体的な疲労と衛生的な不快感」です。ゴミの分別、運び出し、清掃といった作業は、長時間にわたり重労働を伴います。特に、ゴミが大量に堆積している場合、全身を使ってゴミをかき分け、運び出す作業は、腰痛や関節痛などの身体的な不調を引き起こします。また、ゴミ屋敷の現場は、悪臭が充満し、ホコリ、カビ、細菌、害虫(ゴキブリ、ダニ、ネズミなど)が大量発生しています。防護服やマスクを着用していても、その不快な環境に身を置くことは、精神的なストレスを増大させ、吐き気やめまいといった体調不良を引き起こすこともあります。感染症や怪我のリスクも常に伴います。次に、「精神的な消耗」も非常に大きな辛さです。ゴミの山の中から、かつての生活の痕跡や、思い出の品々が次々と現れることは、当事者にとって過去と向き合うことになり、深い悲しみや後悔の念を呼び起こします。物を捨てるという行為は、一つ一つの物に対する感情的な判断を伴うため、想像以上に精神的なエネルギーを消費します。作業がなかなか進まない、あるいは予想外のゴミの量に直面すると、絶望感に襲われ、モチベーションが完全に失われてしまうこともあります。また、当事者自身が精神的な問題を抱えている場合、作業中に感情の起伏が激しくなったり、片付けへの抵抗感を強く示したりすることもあり、支援者にとっても精神的な負担となります。さらに、「時間的な制約と周囲の視線」も辛さを増幅させます。限られた時間の中で作業を終えなければならないというプレッシャーや、ゴミを運び出す際に近隣住民からの視線を感じることで、羞恥心や焦燥感が募ります。このように、ゴミ屋敷の片付け作業は、単なる物理的な労働を超え、心身ともに極限まで追い込まれるほどの、過酷で辛い現実なのです。